【森田童子】「ぼくたちの失敗」など名曲を産み出した森田童子という人。

こんにちは、オバサーです。

 

たいていの方はおそらく

「森田童子」という名前よりも

ドラマや映画で「高校教師」の主題歌だったあの歌の人、

という認識だと思います。

ネットで検索をしてみて思うのは、彼女について

表面しかみていない人が多いということ。

非常に残念な状態に、ここで綴りたいと思った次第です。

 

わたしもリアルタイムで彼女を見たわけではありません。

わたしが彼女の存在に気付いたときは、すでに活動をしておらず

どこで何をしているのかさえわからない状態でした。

 

彼女を「暗い」「幽霊みたい」というような表現が多く見られます。

「サングラスしてるけどきっと綺麗なんだろう」というのも多い。

作品の中身にはあまり触れていないんですよね。

なんとなく「暗いイメージ」に対し

揶揄してしまう姿勢の人が多いのは

日本がしあわせな証拠なのではないかと思います。

 

わたしには文章力はありませんが

わたしなりに彼女を追いかけたいと思います。

 

よろしければお付き合いください。

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森田童子の活動

彼女の音楽活動はひとりの友人の死から始まります。

東京都出身の彼女は、学生闘争が吹き荒れる時に高校生でした。

その時東京教育大学(現:筑波大学)の学生運動と交流があったとされています。

のちに高校を中退し、20歳の頃一人の友人の死をきっかけに歌を始めます。

これがデビュー曲となる「さよならぼくのともだち」です。1975年でした。

そののちシングル4枚、アルバム7枚を発売。

1983年11月、新宿ロフトのライブを最後に、引退の宣言もせずにそのまま活動をやめてしまいます。

現・下北沢ロフトのオーナーがその日新宿ロフトにおり、彼ですらこの日以来活動をやめてしまったことは知りませんでした。

「あー、あれが最後だったんだ…」と。

今もなお「活動停止」という言い方になっています。

活動停止後

以後、これまで出ていたアルバムが少しずつCD化してゆきます。

彼女はあまり広く名が知られることを好んでおらず、

しかも東京を中心に活動していたので

日本国中で有名になったわけではありません。

たぶんこれからもそこまで有名になることもないと思います。

一般的には「売れることが良いこと」とされていますが、

「売れればいいというわけでもない」というのは正論だと思います。

歌い手は勝手でいいんです。

上っ面だけの良い顔や、どこかで何度も聞いたような方程式通りの歌よりも

がっつりと魂が入り込んだ歌があれば良い。

そこで魂が尽きたなら、

その時点で潔くやめていいと思う。

1曲で一生泣ける歌があればいいんです。

わたしの周りで何人か彼女のファンがいます、信者と言ってもいいかもしれない。

昨年の2016年、彼女のアルバムが再発売されました。

それだけ彼女の歌声が必要な人がいまだにいるということ。

そして、彼女に尽力する音楽家たちがいるということ。

わたしも何枚かCD化されたアルバムを持っていますが

ライブバージョンを聞くと彼女の人気が伺えます。

本当に、リアルタイムで見たかったなと。

現在の森田童子

現在の彼女はもちろん、あまり知られていません。

2010年5月掲載の記事では

近しい人の死により精神的ショックが大きいことと

ご自身の持病により活動はできないとこのこと。

 

彼女の世界はたとえ音楽活動をしていないとしても

やめたとたんに消えるものではなく

ずっとずっと彼女の中で生き続けていることでしょう。

 

活動をやめ、他人様の触れるところではなくなった時点で

余計な空気に触れることも手垢がつくこともなくなり

永遠に美しいまま存在しつづけるのでしょう。

 

彼女の世界観

彼女は、どちらかというと寡黙で

みんなとわいわいと話すタイプでなく

ひとりもの思いに耽る人だったと聞きます。

サングラスをとり、髪をまとめれば

一見彼女はごく普通の人に見えたかもしれません。

けれど

寡黙なその内側に広がる世界は果てしなく無限なのです。

 

君が忘れた

砂ぼこりの風が吹く

この街に

ぼくはいる

淋しかったら

いつでも 帰っておいで

ぼくは待っていてあげよう

 

年上のぼくが

淋しいと云ったら

君はこのぼくを

笑うかな

さびれたこの街で

もう 若くはない ぼくは

君の

思い出になってあげよう

引用:「ぼくが君の思い出になってあげよう」森田童子

 

彼女は詩人であり

哲学者であると

わたしは勝手に言っているのですが

特別なことを書いているわけではないのに

なぜこんなにも濃厚に世界を感じることができるのでしょう。

 

あの時代は何だったのか

あのときめきはなんだったのか

みんな夢でありました

みんな夢でありました

悲しいほどに

ありのままの君とぼくが

ここにいる

 

ぼくはもう語らないだろう

ぼくたちは歌わないだろう

みんな夢でありました

みんな夢でありました

何もないけど

ぼくたちが立っていた

 

キャンパス通りが炎と燃えた

あれは雨の金曜日

みんな夢でありました

みんな夢でありました

目を閉じれば

悲しい君の笑い顔が

見えます

 

河岸の向うにぼくたちがいる

風の中にぼくたちがいる

みんな夢でありました

みんな夢でありました

もう一度やりなおすなら

どんな生き方が

あるだろうか

引用:「みんな夢でありました」森田童子

 

多くの方が知らない詩ですが

この、少し寒いような、湿気を帯びたような、

ほの青く、古めかしい木の匂いを嗅ぐような世界を

出せる人に

わたしは自分が活動をはじめてから

会ったことがありません。

 

決して新しいものがきらいというわけではないのですが

たましいの濃さを求めると

どうしてもこの時代に戻ってきてしまうんです。

 

2018年へ向けて

2018年1月15日で彼女は66歳になります。

Wikipediaを見る限り彼女がまだご存命であることに

安心しました。

昭和を生きた偉人達を愛するわたしとしては

愛すべき方のほとんどが亡くなってしまっているので、、

 

命はいつか終わりがくるもの。

自分だけにできる「役割」をひたすらまっとうするのみです。

最後までお読みいただきありがうございました。

 

 

 

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